■書きたいことは、いろいろあるけれど、とにかく一番感心したことは「人」だろうと思う。
御所坊で働く人たちと、その連係プレイ。これは実に素晴らしい
御所坊も、会社であり、事業なのだから、他の会社と同じように経済的動機で動いているはずなのに、でも全然そのように見えない。
命令系ではなく、自分たちの意志で動いているように思える。
個人がそれぞれ、自分がこうした方が客がきっと喜ぶにちがいないという主体的なここうをもって動いているように思える。
それがひとりふたりではなく、つながっているところが面白い。
以前、南方熊楠の話しをしたけれど、彼が注目したのは粘菌という個々の「種」の性格ではなく、それらがつながって動く「系」の様相だった。
それと同じことがここにも見れるようで、僕はその点が一番興味深かった。
(人間と粘菌とを一緒にしては、失礼だけれど・・。)
なぜなら、それは多くの企業で今、人々が動いているとは、全然別な動き方を示しているように見えるからだ。特にお台場あたりの企業で働く人とその系とは、全くちがう様相に思える。
皆、忙しそうにしている点は同じだが、「生き生き度」がちがう。
あまりここを強調し過ぎると、論文のようで僕が思ったことと離れてしまうけれど。感覚的に言うと、そこに僕がいて、その僕に対する反応や興味がまずちがったと思うのである。
■ 『御所別しよ』裏のデッキを掃除している人と会った。
前夜の雨で散った青い紅葉の葉を、掃いてはとれないので一枚一枚つまんで取るという、根気のいる仕事をされていた。しかし、その表情は実に生き生きとしていた。
僕の絵に興味を示し、友人にも絵の先生をしている者がいるといった話しを仕事の合間に少しだけ話したが、話している間も、そのにこやかさと、目の輝きは失せることがなかった。
現役をリタイヤし、今はほとんどボランティア的な仕事です、と少しはにかんだ表情で言われていたけれど、人の生き方、特に現役を離れた後の「その後の生き方」について考えさせられるところが大きかった。
■『御所別しよ』での僕の小講演の時に、プロジェクターの接続などを手伝ってくれた若いホテルマンがいた。
彼はその後も、仕事の合間に僕の展覧スペースにやってきては、いろいろ質問をし、これこれの絵が自分は好きだ、これは簡単そうに見えるが、現代美術の先にあるものなのかもしれないと、いろいろ感想を話してくれた。
目の前に広がる有馬の緑の稜線が好きなのだそうである。
夜間、光を求めていろんな昆虫がやって来るので、一度『御所別しよ』の昆虫図鑑のようなもの作ってみたいとも話していた。ただそんな虫が好きな客が多くい
るかどうかはちょっと疑問かもしれないですけど、とも話していた。ほとんどアーティスト的視点を持ったそのようなホテルマンがいるということはすごいこと
である。
■『花小宿』のフロントのテーブルに、展覧会の案内カードを置いておいたら、すぐに見に来てくれたスタッフもいた。いろいろ僕と話してみたい様子であった
が、僕の方が他の客で手がいっぱいだったので悪いことをした。
彼は、朝食のサービスでも控えめながら素晴らしい働きをしていた。
かつて、子供に買い物の手伝いを頼んだら、皆一生懸命小銭を握りしめて、走って行ったものであろうと思う。
大人になってもそのような気持ちでいる人は素晴らしい。そんなことを連想させるスタッフが多い。
■このような「文化的」で「主体性」を持った人が多くいることば、実に頼もしいことだ。
個々のスタッフの文化(芸術)的興味や主体性は、ホテルや旅館のサービスといったことともおおいに関係すると思う。
客への気配りや機転とは、必ずこの「文化的主体性」や「興味」から発生する「思いやり」がベースだと思うからである。
■竹安くんを始めとする、送迎の機動力もこの「思いやり」や「文化的主体性」をベースに動いているので、忙しく動いていても安定しており、客にとっては実に安心できる存在だった。
思えば彼はテニスのコーチをしていたわけだけれど、その時の運動能力やスポーツマン的精神が、今も活動に活かされているのだとしたら素晴らしい。
■浮田さんという御所坊専属的写真家が、『御所別しよ』のための撮影と同時に、
僕のポートレイトを撮ってくれ、そのプリントを後日また持って来てくれた。
少し話したところによると、彼はもともとは『花小宿』の客であり、ふっーに訪れた一介の旅人だったという。少しづつ会って写真を見せたり話したりしているうちに、いつの間にか『御所坊』の専属カメラマン的存在になっていた。
御所坊での、人と人のつながり(スタッフの系)の発生は、この話しが一番よく物語っているのではないか。
まず個々の「興味J があり、人柄であり、つまり自然な人と人とつながりなのである。
人としての興味や「文化的主体性』をもとにつながっているので、今さら強制的な命令系は特別必要とされない。 r今、自分はこれをやるべきだ」という思いが皆もとになって動いていって、それが功を奏する。
自然につながった個々がそれぞれの思いをもとに動きながら、気が付いてみると全体が同じ方向に動いている。それがまさに生きている生命体というものなのであろう
■振り返ってみると、今の一般の会社はどうだろうか。
とてもそのような個々が文化的主体性を持って動いているとは思えないし、むしろ逆であろう。
会社内では自分自身の興味など押し殺しているように思える。生命体というより冷めた岩石である。
なぜ、こうも違うのだろうか。
「人」や「人との関係」は育てるものだからであろう。育てるには、時間がかかる。今の会社に、そのような時間に余裕のあるところはないということかもしれない
しかし、当然これは「将来性」と言うこととも関係している。
今はなんとかなっていても、将来どうかということでもあり心配だ。
■『花小宿』は、いろいろな旅宿のもつ要素(昔の旅館の良さ)が凝縮されていて、これも素晴らしいと思った。
設備も良いが、主人(あるじ)の「メッセージ」がさらによい。
たばこの問題(嫌煙)や、となりの部屋の騒音(プライバシー)など、一軒の宿屋が抱える問題は、現代の社会が抱える問題そのものである。
それを完璧に克服するといった方向を取らず、上手に主人の「メッセージ」でとらえて柔らかな言葉にして語るという点が良い。これが、今、日本が世界にはたすべき役割と捉える事が出来るし、その良きサンプルである。
■「IT」を、どこまで客室に導入するかも面白い問題である。
今のところ、これについては「花小宿」も成功しているとは思えない。
(他の部屋がどうなっているのかは知らないが。)
簡単に言うと、やはりあの機種は使い方が難しすぎる。
これは多いに、メーカーの問題である。
そこまで求めていない機能が、起動した瞬間から目の前に提示され、“一歩選択を違えると、とんでもないところにまで行ってしまう。
部屋でゆっくり「テレビ」だけ見たいのに、という人は多い。
その時アプリケーションどうのと突然表示されると、いくらパソコンには慣れていたとしても戸惑う。高校で情報システムやコンピューターを教えているあの弟が苦しんでいたのだから。
使いやすい「旅館仕様」のOSの開発ということも、今後考えていくことかもしれない。
さらに、この機会に、部屋の中の細かいことについて。
■仮にパソコンを良しとしても、「ベッド」に座ってのキーボードは使えない。(かっこわるい。)
■お茶を入れた時に、出がらしの「ティーバック」をのせる小皿がほしい。
■しかし、そのような細かいことを全て帳消しにして余るほどに、「花小宿」の朝食は素晴らしい。
「和食」はもちろん感激するが、まさかなあ、とあまり期待していない「洋食」が、期待していない分、意外性の高さで驚きが大きい。
これほどの朝食を出すところが、他にあるだろうか?
ワイキキのホテルの朝食も素晴らしいし、ロンドンのパワフルな豪華朝食もそれなりに国柄を表していて良いが、日本で「花小宿」を上回るところはないと言っ
てよいにちがいない。(と言って、僕はそれほど最近のいいところを知っているわけではないのだが。)清楚で、無駄なく、日本的で良いのである。この精神が
良いのである。
2009.8.13.中崎宣弘
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